雨ニモマケズ(以下 朝日新聞10/15 小林澄夫の左官いる風景2 その5 より)
「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」という宮沢賢治の有名な詩は、「屋根漆喰」について歌った詩である。そう、私に言った左官がいた。
「ミンナニデクノボウトヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ」 (「岩波文庫」から)
たしかに、屋根の瓦と瓦の重ね目を漆喰でとめる屋根漆喰は、風の荒い海べりの町や村で、目立つことなく、苦にされることもなく、自然の風景に溶け込みながら、屋根瓦をしっかりと守っている。
家の壁を塗る左官の仕事は、柱や梁を組み上げる大工のように華やかなものではない。地味なものだ。だが、壁なしでは、家は家として成立しない。
そんな仕事でも、というか、だからこそ、左官の仕事はごまかしがきかない。材料作りに時間をかけ、下塗り、中塗り、上塗り、と時間も手間もかけた仕事をしなければ、台風にでもあったら雨が漏ったり瓦が飛んだりする。
左官は壁を黙々と塗る。真夏の日差しに焼けた屋根の上で、屋根漆喰を塗るのである。
左官の塗った壁には、職人のサインもなければ、落款もない。職人は、無名だ。無名の左官の塗った壁もまた、無名である。雨や風や太陽の光といった、緩やかに流れていく自然の時間だけが、無名の壁に「サイン」を刻んでいく。
職人は芸術家ではない。だから、作品を残すのではなく、たしかな仕事を残し、その仕事を後世に伝えていくだけなのだ。
(月間「左官教室」編集長)
・・・左官と塗装の間には密接な関係がある、そしてそのまま「左官」を「塗装」に置き換えて読んでみたいものです。
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