今週の朝日新聞に、小林澄夫氏の「左官のいる風景2」が掲載されていました。たいへん興味深い内容だったので、その一部をご紹介したい、と思います。
見飽きない壁(以下 朝日新聞10/14 小林澄夫の左官いる風景2 その4 より)
このごろの建築家は、「鏝跡の見えるような壁を塗ってほしい」と言う。
わざわざ手で壁を塗るのだから、誰の目にも、手間ひまかけて手で塗ったとわかるような証拠を見せたい。そんな思いもあるらしい。あまりにも平らに塗られた壁では、工業製品の壁と見分けがつかないから、と。
たしかに、ただきれいな壁と、人の心を打つ壁とは違う。何度見ても見飽きない壁には、その壁を塗った左官の、手跡の気配が残っているものだ。
ところが、一方で左官は、鏝の裏に載せた、漆喰や泥などの材料を均一に配りながら塗り上げた壁を「良い壁」と考え、そのための訓練をひたすら積んできている。だから、「鏝跡の見えるような味のある壁を」と言われてもとまどってしまうのである。
例えば、白紙の上に墨を含んだ筆で書く筆文字には、その運筆の最初から最後までの軌跡に、その書き手の人格が表れるとも言われる。塗り壁にも、そのような「人格」が要求されるようになったということなのだろうか。
我々はふつう、パソコンのキーで仮名を入力してそれを文字変換するだけで、筆で文字を書くことはあまりしない。キーを打つこうした動作には、筆で文字を書く時にはたしかに感じられるような、微妙なプロセスが欠落している。
だからこそ、パソコンで図面を描いている現代の建築家には、左官の壁の鏝跡が魅力的に思えるのかもしれない。
・・・次回(その5)に続く。
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